共沸

思うところがない

エモい

後輩が苦しんでいてエモいです。

一方私は

完全にエモから逃げている。

うむ。

向き合います。

まずは彼のツの通りこのあまりに巨大な概念はすべての感情に言及していて凄い。

語源がemotionなので当然といえば当然ですが。

 

ところで肉体人には突然の形而上に面食らう傾向があります。

この新語はすべての感情の代用言として立つ便利ゆえに多用してしまいがちですが、いざ中を覗こう刹那

「突如抽象殴打(サドン・アブストラクト・パンチ)!!!!!!!!!!」

終了されます。

地獄か。

 

考え直してみるとたった一人分の感情言語を支配するに過ぎないちっぽけな単語ですけど、なんでクソでかく見えるのか。

うーん。

「世界の半分」だからだと結論づけました。イスファハーンではなく。

基本的に我々人間は主観でしか世界を捉えられません。いいですか?その客観は疑似的のやつです。まず。

主観というのは認識上に再構築された世界へのまなざしです。世界を直接には捉えていない。いわゆる色眼鏡的のやつです。この『認識上に再構築された世界』を「認識界」とここでは呼ぶことにします。

認識界が私やあなたにとっての世界のすべてです。知らないものは知るまではそこにはありません。とします。

はい、ここで「認識」を二分割します。「知覚」と「感情」です。

「知覚」は五感の処理と論理的思考・演算などをやるところです。メタ認知もする。

「感情」は見たまんま感情です。根源的な快不快から様々に分化したそれは、倫理的気持ち悪さなども司っています。

先に倣ってそれぞれの上に再構築あるいは描写・投影された世界像を「知覚界」「感情界」と呼ぶことにします。ちなみに『思考』は両界を渡り歩く。

ここで話を帰らせると、私達それぞれにとって唯一無二の世界にほかならない「認識界」の片割れ「感情界」がもともと有していた言葉を全て包括してオールド・ファッションに押し込めてしまう「  」の凄絶さ。ドーナツ食べたい。いいえ。例えるならば今日から色の名前に関する語彙を失って『いろみ』としか言えなくなったり、3以上の数字語が全て『たくさん』に統合されてしまったりしたのに、依然生活をやる必要がある。オヨヨと私の感情はなります。あなたのはどうですか。

言語はいい具合に思考をやっていく上で悪くない道具であるばかりか、頑張って思考を共有しようとするに至っては飛び抜けて比較的便利な手段です。壊れると困る。というのに『世界=認識界』の平均的に半分を占める「感情界」の言語をたった1単語にぶん取られると、事態です。

一度知った以上、「感情界」では一生ボールギャグを咥えたまま生活するしかないのです。『フガフガ』である『エモい』が唯一の単語となる。興奮する。いいえ。

ちょっと頬の革ベルトが緩んだ隙を突いて人間さんの言葉を試みるのが賢いのかもしれま「なぁんで豚さんが喋ってるのかなぁ、私の豚さんじゃないのかなぁ、ねぇ?」ブヒィイイイイイイイ

終わっている。

ごめんなさい。

すごくエモい。

 

とどめに私は専門外のことについてべらべらやったので終わっています。勉強がなかった。エ

 

 

 

 

追記 冒頭の後輩がした