共沸

思うところがない

日記 2018-5-15

物語は特筆性でできている。

そんなとりとめのないことを呟く僕は、自室の浴室で紫煙を吐いている。

アメリカンスピリット・ウルトラ・ライト 3mg。

モンスターエナジーの空き缶に擦り付けると灰が落ち切っ先が赤く尖る。

吸い始めたのはいつだったか、いつしかタバコにも慣れてしまった――即ち、日常。描写するに値しないなって。

12mgのターコイズを吸うにはこの場所の風は弱い。

トロトロと回る換気扇が頼りない。

僕は小説が書けない。

物語は特筆性でできていると同時に、多くのそれは複数の個人間の感情のやりとりに重きをおいている。所以(ゆえん)映えるのは殺人であるとかだ。

僕は人が殺せない。殺すどころか、ぶつける激情に乏しい。臆病ゆえだ。

"Just not for me." 気に入らないものへの不快はその四語で握りつぶすのが常。「おれ向けではない」。寛容から出たものではない。人が怖い。人の悪意と報復が。

人を殴るとき大抵殴られる距離に在る必要がある。しかしこの細い腕では、この童女の身体では、リーチが悪くてこの頬だけが殴打を被ることも多々あろう。

鏡のなかの僕はボサボサの金髪と尖った耳をしていて、濁った碧眼にクマを湛えている。

人間の街に暮らしているのだ、その法に従って20歳の誕生日まで吸うことをしなかった煙草はいつの間にか生活の一部になっていた。

ぐちゃぐちゃの頭をニコチンと酸欠で鈍らせると気分がマシになる。矮躯には毒だが成人だ。人が法のためにあるのではなく法が人のためにあるとしても、僕はエルフだ。好きにさせてくれ。

人の悪意や復讐が恐ろしい、ないしは。

いいえ。踏み込むのはためらわれる。その試みは、けして健康とは言い難い僕の心を暴き立てるのはとびっきりの自傷で、not for me(趣味じゃない)。

僕は小説が書けない。それは物語のもつ不可逆性に臆しているのかもしれない。局所的に、かつ空想のものだとしても何かを終わらせてしまうのがひたすらに怖い。「ファンタジーは現実逃避の道具ではなく、現実に到達するためのほとんど唯一の手段だ」とはミヒャエル・エンデ翁の言葉だったか。幻想を侮ってはいけない。

終わりは始まりだ。僕は始めるのも苦手だ。始められないし終えられず、現在を漫然と繰り返すことに終始する。

神を仮定すると僕は酷く依存していて、一切の責任と自由を預けている。ムスリムは吉祥と不幸の両方へ「アッラーに讃えあれ」と言う。未来への言及に「アッラーの望むなら」と添える。彼らは神の強大さを信じているが、僕は自我の弱さを自覚していて、どちらにせよ個々人の意志の相対的な無力さをドグマとする。

どうしようもないことはどうしようもないし、なるようにしかならないと信仰している。

気づけば指が暖かいし煙草が短くなった。アメスピは長い時間燃えるんである。空腹には堪えるなあと思いながら、軽くふらつく頭をかしげて火をすり潰す。

頃合いだ。

僕は小説が書けない。とりとめのない話をしてごめんね。